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『第5回』連載開始!精神的勃起度120%のもっこり脱法コラム! 裏社会ライター・丸野裕行の『京都夜本上陸大作戦!』

生まれたときは男、今は女!稀有な両性具有で出産まで!『男女の性器を持つ女』


リポート/川田美桜
33才 ガールズバー勤務

医学的に、性発達障害と呼ばれる両性具有者は、ふたなりやアンドロジニー、インターセックスなどとも呼ばれ、身体的な性別を男性や女性として単純には分類できない状態だ。

性別の判別が難しい半陰陽は、遺伝子、染色体、性腺、内性器、外性器などのすべてが規格外である。

特に、2万5千分の1の確率で生まれるという染色体XXYの“女性仮性半陰陽”という障害を持つ人物と出会うには、奇跡とも言える。

過去の統計では、国が把握しているだけで、全国に75名ほどいると言われているが、具体的な数は把握できていない。

しかし今回、旧知のキャバクラオーナ-から連絡を受けた。彼が持つガールズバーで、なんとその希少な体を持つ女性が働いているというのだ。

彼女の名前は、川田美桜。現在、33才だという。

「私、お客さんにもその話してないです。だからみんな、ただのニューハーフやと思ってるんですけど、実は私の体は特別で……」

 ごく親しい者意外に初めて話す彼女の人生とは? その特殊は体とは?  本名での取材協力を得て、彼女の秘密に迫ってみたいと思う。

どっちの性別にしますか?

どっちの性別にしますか、と医者は訊ねた

私が兵庫県三田市の病院で生まれたのは、1976年(昭和50年)1月12日。

予定日より2ヵ月遅れた出産。難産でもありました。

【オギャアァァァァ!】

「川田さん、産まれましたよ! よかった、無事で! ちょ、ちょっと待てよ!」

取り出した産婦人科医は、見たこともない性器の形に驚いたそうです。

私の性器の形状は、女性器の上部に普通ならあるべきではない4~5センチの陰茎部分が突き出ていたのです。

陰嚢は子宮の中に吸収され、精巣はありません。

 クリトリスの変わりにチンチンの亀頭の部分がついているとでも言ったらよいでしょうか。とにかく医者もお目にかかったこともないような性器だったんです。

もっと驚いたのは両親。取り乱していたと聞いています。

「お子さんの性別ですが、そうされますか?」  父は長男として育てたい、母は娘として……2人は言い争いました。

「じゃ、男と言うことで!」 父が勝手に押し切って戸籍は「男」に…。

 数日後、私は“英次”と名づけられました。

 原因は何なのか。医者は両親の染色体を検査したりしましたが、どうも父の染色体の数が少ない。

 染色体変異で私のような子が生まれたと結論づけられました。

医者が言うには、どうもこの原因は、父と母が当時勤めていたメッキ工場の薬品類が人体に影響を及ぼしたのではないかとのことです。

とにかく、元気には生まれてくれた。それが、両親の救いだったのかもしれません。

物心ついたときから、私は女性器の上にある尿道とちゃんと尿道の穴が開いた男性器2つで、オシッコを出す場所を自分の意思で変えられることに気がつきました。尿管がつながっていたのです。

でも、どうしてもしゃがんだりしなければいけないので、立ちションベンなどはできません。

友達と連れションなどすることは不可能でした。でも、不思議とそのうちできる、自分だけ成長が遅いのだと思ったものです。

近所の女の子と人形遊びをしながら幼少期を過ごし、それから小学へ男の子として入学。でも、やっぱり黒いランドセルへの違和感があり、赤いランドセルを背負うのがその頃の夢でした。

「おはよう! この赤いランドセル、おばあちゃんに買ってもらってん!」

「……」

 同級生のその一言が悔しくてなりませんでした。

小学校からのイジメがはじまる

小学校に上がって、一番困ったことは、トイレ。

やはり立ってでの排尿は難しいので、大の方に入って用を足すのですが、

「アイツはオカマっぽいのに男子便所でションベンしとるぞ!」

「なんで、みんなの前でションベンでけんのじゃ!!」

などとイジメめられてしまうのです。

このときは、女子のお友達が多かったので、男の子よりも体の大きい女友達にかばってもらったりしていました。

毎月のように父が買い与えてくれたバットやグローブ。野球をせんかい、女とばっかり遊ぶな! そんな心ない言葉が小さな胸に傷を刻んでゆく中、さらに追い討ちをかけるのが、教師の存在。

この頃の一番キツいイジメは、両親から両性具有の説明を受け、すべてを知っているはずの女の先生にイジメられたことでした。

男子と着替えをしたりしなければならないのでプールに入れないという事情を説明しただけなのに、自分の経験値ではその事実を消化しきれなかったのかもしれません。

私の名前の“英次”をエイズともじって呼ばれたり、「このオカマはエイズだ」とみんなの前で言われたこともあります。

ちなみに彼女は、うちの祖父に校長室でビンタを食らい、教育委員会を呼ばれて、失職しました。

 高学年にもなると、周りでは恋愛話に花を咲かせる年頃。

男の子に興味のある自分に違和感を覚えながら生活をしている中で、やはりそれはやってきました。初潮です。

 ある日、太ももに何かが流れる感触があった私は、そっと手を当てました。

「な、なにコレ! わ、私、どないしたん?!」

経血が腿の内側を伝っていたのです。男として育てられている自分に訪れた女という性別としての実感。

 体育館に集められて性教育を受けたことなどないので、私は取り乱して、母の元に走りました。病気かもの知れへん! 母は、すぐに私の異変に気がついたようです。

「そうか、ついに来てしまったのね……」

 そう母がつぶやいたのがいまでも耳に残っています。

「英次、すまんな。実はなぁ……」

父が帰ってからの家族会議で私は初めて自分に性障害があるということを打ち明けられました。

「ごめんね! 英次! ごめんね!」

 泣きじゃくる母。でも、後悔してくれたとしても、私は男として戸籍を持ってしまった。当時の国の制度では、絶望するほど性別変更は大変難しかったのです。

 その後、私は性別鑑定の先進国であるタイでしっかりと“女性仮性半陰陽”の診断をうけなければならないほど、日本は遅れていました。

それからは、弟もでき、長男としての私の立場は必要なくなりました。このとき、父のことを心底恨みました

初体験は、小6でレイプ

ちょうど、小学6年生の終わり頃。私の初体験は、思い出したくもない本当に辛いものでした。

 それは12才のとき。

父と母が勤めるメッキ工場に遊びに行っていたときです。その会社の息子(20才)に犯されたんです。

「オマエ、両方ついてるんやってな。親父が言うてたぞ!

」 「知らん! 知らん!」

「おい、ちょっと見せてみぃや!!」

「い、いややぁ!!」

 当然ですが私と力が違います。泥酔していた息子に服を剥ぎ取られました。

「おぉ、やっぱりあるやんけ!」

 そう言うと、珍しそうに眺め、舌なめずりをしながら、無理やりにいきり勃ったペニスを一気にズボッと挿入してきたのです。

小学生といえど、高学年の少し大きく育った体。彼は興奮していました。

大量の血が出て、その後にセックスについて良いイメージが残るはずもありません。

 それからというもの、私は男の人の裸をみたり、エッチな話など聞いたりしても、生理的に下腹部が熱くなることはあっても、性行為をしたいとは思わなくなってしまいました。

中学生になると、体はさらに成長を続けて骨格はがっしり、でも膨らむ胸……という状態で、まさにごちゃまぜ。

学校へは私はバレないようにサラシを巻いて登校していました。でも、膨らみがバレて、からかわれたり、ふざけて揉まれたりすることはしょちゅう。辛い日々でしたが、耐えるしかありません。

なぜこんな体になってしまったのか。

前から突き出るペニスを引きちぎってやりたいような感情を持ちました。

それに不意の怪我で撮ってもらったレントゲンでも、衝撃の事実を知ってしまいました。普通なら男性10本、女性8本になるはずの肋骨が私は9本。体の中にホントに男と女が混在している感じです。

セックスへの恐怖感とは裏腹に、年を追うごとに恋愛への憧れは強くなってきました。

恋愛感情を持つのは、男性なので、それから淡い恋心を持った男の子に何度か告白しました。

一番本命だった彼は、中学3年生の同級生のS君。

大好きだった彼には、意を決して恋を打ち明けました。

しかし、「友達としてなら付き合うけど、恋人としてはムリや、やっぱり……」と断られ、失恋。当然の結果です。

 学ランを着た男に、学ランを着た男が好意を持っているのですから。

進学した高校は、父に強引に入学させられた京都の工業高校。親戚の家に居候しながら通いはじめました。

このときは女子からイジメです。「中途半端でキモい」などと陰口をたたかれたり、直接言われたりしました。女のイジメは陰湿で、しつこい。

このときに初めて女の恐さを知りました。

友達が少ない中で学生がやれることといえば、勉強。学校でしっかり学び、帰ってくれば、女の子らしいスカートに着替えて、ストレス発散にビールばかり飲んでいました。

 高校を卒業後、私は父から強制的に専攻させられていた建築の世界へは進まず、大手運送会社で女性として4tドライバーをはじめました。

この頃からでしょうか、私は病院から特別な許可をもらい、女性ホルモンの投与を受けはじめました。

それは、性別が混ざっている体が、ホルモンバランスを調節できなくなっていたからです。

それは、いわば“生命維持”のため。脱水症状や痙攣、うつ性器からの出血、めまい、吐き気、アナフェラキシーショック(血管拡張で血漿成分が流れ出すショック症状)などに苦しめられます。放置しておけば、そのまま死亡。

ホルモン注射を打ったら打ったで副作用が体を襲います。

ひとつは、免疫力の低下。簡単に言えば、HIVと同じです。すべてのウイルス感染の危険にさらされます。その他には、薬が効きにくい、傷が治りにくい、血が止まりにくい、視力低下などです。

それからというもの、病院通いが生活の一部になってしまいました。

 同時に、私の人生をすべて決めつけてきた父が女を作り、判を押した離婚届を置いて蒸発してしまいました。

 身勝手な父への憎しみをバネに、2年後には8tの中型免許取得。

 職場の同僚は、確かに好奇の目で見てはいましたが、男女の関係が芽生えることは、一切ありませんでした。

成人式で、人生を変える出会い

私ももう20才を迎え、振袖姿で臨んだ成人式。

顔なじみが驚く顔で声をかけてくる中、忘れられない顔がありました。

そこで出逢ったのは、中学3年生のときに告白したS君だったのです。

 昔話に花を咲かせ、憧れていたSくんの近況を聞きました。彼女はいないし、今だったらアプローチするチャンスかもしれない。

そう思った矢先、彼から思いがけない言葉が返ってきました。

「昔は断ったけど、今なら付き合ってもいいよ。昔は戸惑ったけど、ちゃんと女になってるから」

 そのうれしい言葉に、ひとつ返事で答え、それから彼と付き合うようになりました。

 彼はバイトをしながら、司法試験の勉強の真っ最中で、私が支えようと決意しました。

「アンタは、勉強のことだけ頑張ってたらええの!!」

「す、すまんなぁ……」  初体験以来、男性と重ね合わせる体。それは、20年間、自分の中に押さえ込んでいたものをすべて外へ解放するような気持ちの良さだったのです。

なぜかはわからないのですが、サオを触られると、穴がすごく濡れてくるということがわかりました。ちなみにサオに性感帯は一切ありません。

好きな人とセックスしているという幸せを実感したのでしょうか、このとき私は濡れた穴からは大量の潮を吹いてしまいました。

このときの彼との出会いで、今では、普通の人以上に性は解放されたようです。性感帯も多く、体のいたるところを触れられると感じてしまいます。

オナニーについても、バイブなどのオモチャを使ってします。頻度は週に1度ほどでしょうか。

 今の性欲についても、彼氏ができれば人並み以上には求めてしまうと思います。

 当時の彼との日々、仕事をバリバリとこなし、やっと手に入れた幸せ。人生が順風満帆。

……のはずだったのですが、ここで思いがけない邪魔が入ります。

その会社の社長に飲酒運転を強要され、免許取り消しになったのです。

「だから、送るのなんてムリやって言うたやないですかぁ!! 社長が検問やってない道を教えるからって…」

「悪かったなぁ…ご愁傷様。罰金だけは出すさかい」

「……」 社長はそれから責任を感じたのか、事務所での女性職員としての事務職を勧めてきましたが、そんな会社で働く気は毛頭ありませんでした。

 23才になっていた私は、それから夜の世界に飛び込んだんです。そこにはまた、大きな悲劇が待ち受けていました。

妊娠と出産、男の子を授かる

 私は、子宮があることを内緒にして、友達のつてを頼り、京都にあるニューハーフのお店で働くことになりました。

 給料は、月60万円。トラックに乗っていたときよりも断然いい収入です。こちらの方が水があってたのかもしれません。

 それから、2年。必死で私は彼を支え、ついに司法試験合格。弁護士事務所に入った記念として、彼と同棲することになりました。

「なぁ、子供でも作って、結婚せえへんか?」

「ええ!! ホンマに!? 私、うれしい!!」

 私は、ついでに新しい環境でやり直そうと、大阪の十三に以前お世話になったママとお店をやりはじめました。

 お店の評判も上々で、ちゃんと利益も出て、大成功。

 彼も真面目にしっかりと法律事務所で駆け出しの弁護士として修行を積んでいるようで、すべてがうまくいっていました。でもこの時は、さらにサプライズが……。

彼とのセックスで、生理がこなくなました。ドラッグストアで買った妊娠検査薬を使ってみると、結果は陽性。まさか、ホンマに……私。

産婦人科に駆け込むと、医師は、性同一性障害に精通しているようでした。

「ここにも、いてはったんやねぇ。レアケースですよ。おめでとう! 頑張ろうね!」

 理解のある医師は、私を勇気づけてくれました。私、ついに子供できた! その喜びも一入でした。

「おまえ、やったやないか!! でかしたぞ!!」

 彼も大喜び。まさに幸せの絶頂です。

 私の子供はお腹の中でしっかり育ち、それから10ヵ月後、平成16年6月、陣痛がはじまりました。

「なんか、い、痛い……病院に連れてって」

救急病院に車でむかい、分娩室に入った直後、ものの5分で無事出産できました。

通常出産で、4300グラムの男の子。一番気にしていた性障害については、問題ありませんでした。

 結婚したくてもできない男性と男性の間に生まれた子供。

 タイの医師からの性別変更の書類が揃うにはまだまだ時間がかかります。

 ブラジルで結婚して籍を入れることもできますが、帰国後に国内で問題になることは目に見えています。子供のことを考えて出した結論は、 「結婚していない女に子供を産ませてしまったということにして、とにかくあなたが子供の面倒を看ることになったと役所に説明して! とりあえず、あなたに親権を渡しておこうよ」

 性別が変わってから、彼と籍を入れ、やっとこの子の母親になれる。哀しいですが、仕方ありません。

 仕事をしながら彼とお互い協力して育児。母乳でしっかりと育て、食べ始めや七五三、公園デビュー、保育園入学……一つひとつの行事がうれしくて仕方ありませんでした。

病気ひとつすることもなく、すくすくと育った息子が3歳になったとき、幸せだったはずの家族に突然の悲劇が襲ったのです。

彼と子供を亡くす絶望

 今から2年前の平成19年の夏の日。軽自動車で、親子水入らずで遊びに出かけていたときのことです。後部座席で子供の面倒を彼が看てくれています。私は運転。

 遊園地などで一通り遊んでまわった後、夕暮れ時の高速道路は混雑していました。

料金所前で、順番を待っていたとき、後方にダンプカーが見えました。

 ルームミラーに映りこんだダンプは減速することもなく、みるみるうちに大きくなります。

【ドドォォン!!】

 そこで、記憶が途切れました。気がついたのは、数日後の病院のベッド。体中に痛みが走ります。どうやらICUの中にいるようでした。

 顔を曇らせた医師が、全身骨折の重傷を負った私の元へやってきました。なにか、言いにくそうに唇を噛む医師。

「残念ながら、ご主人とお子さんは即死されました」

 何を言っているのかわかりませんでした。愛する彼とお腹を痛めて産んだ子供。何があったのか、なぜここにいるのか、見当もつきません。

 医師の話では、私たち親子は飲酒運転のダンプカーに高速で突っ込まれ、後部座席に乗っていた2人は押しつぶされたようです。

 私は一気に絶望のどん底に突き落とされました。なんで、なんで私ばっかり……。

 彼と息子の亡骸はそれはそれはヒドいものでした。

 それから、家に引きこもり、酒浸りになる日々。

 そんな私を支えてくれたのは、やはり仲間の存在でした。

 一緒に店をやっているママやニューハーフ仲間、親交のある周りのお店のホステスさんなどの励ましの電話やメールが毎日のように入ってきます。こんなことじゃ、いけない。2人のためにも生きなければ……。

 私は哀しみを乗り越えて、1ヵ月後にはお店にカムバックしていました。

でも昨年の10月までお店で頑張りましたが、3人で過ごした家に住むことがつらくなり、私は大阪を出て、母の元に戻りました。

ブログをみて、客が来るほどの人気者に!

 それからは、京都木屋町のガールズバー『フレイヴァ』というお店のオーナーにスカウトされ、今もカウンターの中でお客様のお相手をしています。 私は、自分のような体の人間がいることを知ってもらいたくて、ブログを書きはじめました。 どうか苦しんでいる人々のことを理解してほしいのです。 ブログでは結構過激なことも書き込んでいます。私のブログを読んで、わざわざ名古屋から京都に会いに来てくださったお客さんもいらっしゃいます。みなさん、私の話に興味津々なようです。 今までの私の男性経験は7、8人ですが、すべてお店のお客さん。 アフターなどで常連さんの酔った勢いに押されて、一夜を共にしてしまうことがあるというだけです。恋愛感情のカケラもないセックス。  彼との以前の幸せな日々のように、好きな人に抱かれることは未だありません。今、こんな私に結婚してくれとプロポーズしてくれる40代前半の男性がいます。でも、その人のことが好きなのかどうかも微妙。  彼にしても、この私の特殊な体目当てでそんなことを言っているのかもしれません。  自分に付加価値があるというわけではないと思うのですが、やはり最近AVなどで持て囃されているように、マニアな人には相当レアな体なのかもしれません。  しかも、子宮まであり、子供が産める体なんて……。 関西では、私を含めて京都・滋賀・奈良に1人ずついるそうです。 性同一障害のサークルや性転換手術のメッカであるタイの情報では、和歌山にはなぜか4人いるといわれています。  苦労して、改名し、今年の8月には性別も女になる私。  でも、私にはわかったんです。 過去に様々な苦労があったとしても、今では出会う機会がなかったニューハーフやおなべ、インターセックスの仲間たちとも『mixi』などのSNSで知り合えたり、定期的に交流会がもてたりと精神的な負担が減りました。 その中では、性同一性障害を持った、皆さんもご存知の有名人の話にもなります。  こんなことは日本だけの話で、本場タイなどでは、子供を産みたくても産めないニューハーフたちに私のような出産できる体の持ち主が殺されたり、暴力を振るわれたりした事件が多発したそうです。  尋常ではない嫉妬心が招いた結果でした。 そこで日本も2006年に舛添厚生労働大臣が、性同一性障害に関する特例として、両方の性器持っている者は公表しないように、との措置を発令しました。  でも、お互いに知り合ってもそんなことが起こらないのは日本人の国民性だからだと思います。 それにそれ以外のノーマルな男友達や女友達、店のオーナーや女の子たちに囲まれて、本当に楽しい生活にたどり着けました。  恨んだことも憎んだこともありましたが、“女性仮性半陰陽”としての私を産んでくれた両親に感謝しています。  本当に、本当にありがとうございました。(完)

取材・文/丸野裕行(裏社会ライター)


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